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猫に見られる [猫好き]


みなさん、こんにちは。

今日は猫についての雑談です。
超つまらないですから遠慮なくパスしてくださいね。

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猫の仕草で・・

腹が減った、外に出せぇ~、遊んでくれぇ~、
抱っこしろぉ~、頭をグリグリ掻いでくれぇ~、トイレを
掃除しろ~

・・・とかの要求はわかるけど、それ以外に猫に
妙に、ジーッと見つめられる瞬間があります。

あれっ?どうしてほしいんだろう?
その一瞬、いつも軽い戸惑いを覚える。
猫の意味ありげな透明な目線が気になる。
そして、小さな不安が私の内側から湧いてくる・・。

おまえはいつまでたってもアホだねえぇ・・。
まだ、わからないのかねぇ~。もっと、素直にありの
ままを見ろよ。ほんとバカなんだから・・・。

・・とか言われているみたい。

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なぜか、猫は”あっち側”というか「禅的世界に生きて
いる」ような気がします。
「禅」の意味も知らないくせに「禅的」というのも不遜
ですが、”在るがまま”といいますか。

全てはあるがままに。
悟りなんてことさら意識することもないんだよ。
だって、生まれてきたときはみんな完全充足していただろ。
誰でも”あっち側”が現実だったでしょ。
ね、子どもの頃を思い出せよ。簡単じゃん。

忘れちゃったのかい?しょうがないなあ・・。
ただ意味もなく生きている・・それだけで十分なんだよ。
悟りなんてそんなの元々いらないんだよ。
だって、みんな元々悟りなんて意識することもなく
悟っていたじゃないか。だから思い出せばいいだけ。

ね、在るがままで充分なんだよ。
まだわからない?

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・・とかなんとか思うのです。

自分でも何書いているのか全然わからないけどそう思う。
あはは、わからないのに”そう思う”も、ないもんだ(笑)

人間以外の全ても生き物はそれがわかっている。
すべては”あるがまま”が最高で、それが”ふつう”なの
にね。 ”観念”という人間の作り出したものがこの世界と
自分を見えなくしている。観念に毒されている。

こうなったら得るよりも捨てること。徹底的に捨て去ること。
それしか方法はないのかもしれないなあ。

・・とかなんとか、思う(というか”予感”する)のです。

でも、捨てるなんてなかなかできそうもないな。
だからアホなんだ。というか、ほんまもんのアホは素敵
だけど私のは偽アホウなんだ。だから、ほんまもんのアホ
を気取っちゃいけないよ・・ぶつぶつ。

間違いないのは、猫の方がはるかにわかっていると
いうこと。猫は”在るがまま”ですもんね。
全ての動物がそう。

猫に惹かれるほんとの理由。
それは”自由”あるいは”融通無碍”みたく見えるから。

IMG_0002.jpg

この本は偶然、本屋さんの古本コーナーで見つけて
衝動買いしたのですが久しぶりに最高でした。
(もしかして偶然はない?すべては必然なのかしら?)

すざまじい過酷な座禅体験記なのに思わず笑っちゃう
箇所がいっぱいありました。
笑っちゃうというのは我が身をズバリ指摘された気分に
なったからです。

座禅はほんの数回の経験しかないですが、全然わけが
わからないまま終わっちゃった。足が痺れただけ・・
なんていうと怒られちゃいそうですね。

アホな文に最後までお付き合いいただいた方には心から
感謝します。どうかアホが伝染しませんように。
するわけないか(笑)
そして、皆様にはいいことがいっぱいありますように。

合掌。



ジョーク

保険を申し込む男が、用紙に記入するのに困っていた。
セールスマンが問題は何かと尋ねると、
父親の死因の欄に書けないのだと答えた。 

セールスマンが理由を尋ねた。しばらく困惑した様子でいた男は、

父親は絞首刑になったのだと説明した。 

セールスマンはちょっと考えた。

「こう書いてください。
 『父が公式の行事に出ていたとき、足場が崩れた』と。」



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コメント 8

heisei-yamada

「禅とはなんだ?」
「Being on the road」

「深夜特急」の中で、
外国人に問われた沢木耕太郎さんが、
たしか上記のように答えていましたね。

禅とは「途上に在ること」だなんて、
「かっこいいなぁ」って当時強く思いました。
意味はわかったようでわからないですけど。

ひょっとすると猫の目には
「途上の先」が映っているのかも知れませんね。
by heisei-yamada (2014-02-28 17:19) 

わ~い、お茶

ネコと言うのはこの世の生き物の中では最も哲学的な生き物なのだそうです。これは魔術実践者の方が著書の中で言っていますし、所謂スピ系の人は「ネコというのは26次元の存在で人間を見下している」という事らしいです。人間が犬と猫どちらかから
何かを学ぶとすれば猫からの方が得るものは大きく大切な事が
得られると思います。
by わ~い、お茶 (2014-02-28 17:25) 

ねりね

若い頃の松坂慶子は、こちらのココロをときめかすような魅力的な眼で見つめていたけれど、彼女は強い近眼なのだそうですね。
ああ、そいうことがあるのかと思った。

パンダはクマの仲間らしいけど、クマってのは信用ならない眼をしてますよね、特にパンダとシロクマの眼は怖い。
あの眼にはトラやライオンとは違う種類の怖さを感じる。

プログラマという仕事は机の前で座っている仕事だけど、体力的にも精神的にも大変厳しいのだそうで、澄んだ眼をしているプログラマは「あっちの世界」へ行きかけている可能性があるので注意しなくてはいけない。濁った眼をしているプログラマは健常なので安心してよい、のだとか。

死んだ猫の眼を何度か見たことがある。
眼を見ただけで死んでいるのがわかる。眼が死ぬという言葉の意味がわかった。
『眼』は怖いですね。
by ねりね (2014-03-01 01:18) 

toyo

heisei-yamada 様

>ひょっとすると猫の目には
「途上の先」が映っているのかも知れませんね。

そうですね。途上の先の側から来た生き物が猫かも
しれない・・と思う時があります。
完全に覚醒している、というか、覚醒しているという
意識すらないのがおそらく「悟る」・・ということのような
気がします。
個人的には、良寛さんは世界に冠たる覚者だと思って
います。良寛さんって、ほんとにこんな人が実在したのか、
信じられない。伝説どころか、さらに空想の存在では
ないのか?と思うくらいお釈迦様に近い存在だと密かに
思っています。あ、脱線しました。

「深夜特急」。懐かしいですね。夢中で全巻読んだ覚えが
あります。ああ、あの頃のみずみずしい感性が今は
すっかり失われてゴミ的存在に成り果てた自分・・・(笑)

いつもお付き合いいただいて感謝します。
どうかyamada にいいことがありますように。

by toyo (2014-03-01 11:26) 

toyo

わ~い、お茶様

>「ネコというのは26次元の存在で人間を見下している」

なるほど!
素直に納得してしまいそうな気がします。
たしかに哲学者みたいに感じるときがあります。
あるいは、いたらない自分を写す鏡ような存在にも思えます。
だから惹かれてしまうのかしら?

いつもお付き合いいただいて感謝します。
どうか、 わ~い、お茶にもいいことがありますように。
ありがとうございました。
by toyo (2014-03-01 11:31) 

toyo

ねりね 様

またまた、ためになるコメントをありがとうございます。

たしかに言われてみるとクマの目は不気味ですね。
蛇や爬虫類なんかも完全に”彼岸”の目をしてる気がします。
松坂慶子が近眼とは知りませんでした。そうだったのか。

昔(中学生の頃)入院していたとき、隣接していた病棟が
精神科だったようです。窓に鉄柵がしてあって、向こう側から
ときどき歌声が聞こえてきました。で、精神病の人の目も
怖かったです。まったくコミュニケーションを断絶した異形の
目といいますか、底知れぬ恐怖を感じました。

結局、なにを考えているかまったく想像することができない
存在がもっとも怖い気がします。
それに比べれば恨みつらみで出てくる幽霊(見たことはない
けど)などは可愛いものかもしれません。

でも、一番怖いのはもうひとりの自分と出会ったとき・・と
いいますが、これはどうなんでしょうね?
ドッペルゲンガーっていうんですか。カントさんだったか遭遇
したらしいですが・・・。

目は外から見える脳・・だそうですが、だから、眼って怖いの
かなあ~?

とりとめがなくなってきたのでこのへんで。

いつもお付き合いいただいて感謝します。
ねりね様にもどうかいいことがありますように。




by toyo (2014-03-01 12:33) 

hisa

まったくもって、おっしゃる通り。
ただ、実は全ての対象からそれは学べることで、
神様だか仏様だかしらないけれど、
いちばんわかりやすい先生として
猫をつかわしてくれたんじゃないかと思っています。
ぼくが禅を好きなのは、料理も掃除も坐禅と同じ、
いやそれ以上の修行だと位置づけてるところ。
ただ生きる。丁寧に生きる。
まさに猫なんですよね。
by hisa (2014-03-01 13:57) 

toyo

hisa 様

いつも的確なコメントを感謝します。

ご指摘の下記のことばにドキッ!としました。

>実は全ての対象からそれは学べる
>料理も掃除も坐禅と同じいやそれ以上の修行
>ただ生きる。丁寧に生きる

まったく同感です。それを教えるのに猫をつかわして
くれた・・というのも素直に納得します。

といっても、納得しただけじゃあダメですよね。
頭で納得しても実行しなかったらダメじゃん・・と、
猫の目線が言っているようです(笑)

禅的境地って、言葉ではとても捉えられない、といいますか、
表現不可能な気がします。・・ということをはるかに超えた
境地みたいですね。いつになったらそれがわかるのか?
私には無理だろうなあ~と思っています。
もっとも、それがもしわかったら、「わかった」ということすら
意識することもないんだろうなあ~と思いますけど。
混乱してきたのでこのへんで(笑)

いつもお付き合いいただいて心から感謝します。
hisa 様にもどうかいいことがありますように。
ありがとうございました。

by toyo (2014-03-02 09:05) 

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