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死んだらどうなるの? [つまらない]


みなさん、こんにちは。

今日は個人的な独り言です。他人の独り言ほどつまらない
ものはないと思いますので遠慮なくパスしてくださいね。
いわば自分のための心のメモみたいなものです。

自分の心情を晒すなんて悪趣味かもしれないけど多くの人
はどう考えているんだろう・・と思うことがあります。
それは・・

最近、死んだらどうなるのか?なんてことばかり漠然と思って
います。妹とにゃんこが亡くなったからだと思います。 妹も
にゃんこも今頃どうしているんだろう?とかつい思ってしまう
のです。

大体、今迄真剣に「死」なんて考えたことがなかった。
まあ、いずれは自分も死ぬんだろうけどそれはまだ先のこと。
・・なんて思っていたけど、他人の死には無関心でも、さすが
に身近の人間や可愛がっていた動物が死ぬと動揺してしまう。

自分より高齢の人が死んだときは同情はしても正直ダメージ
は少ない。でも、自分より若い人が死ぬと、そして自分との
関わりが深いとダメージを受けてしまうようです。

玄侑宗久さんは小学校3年生の頃からいずれ訪れる死を思い、
毎晩、泣いていたそうですが私はそんなこと全くなかった。
死に鈍感だったからでしょう。
眠ったらそのまま死んじゃうんじゃないかと眠るのが怖かった
という人は意外と多いみたいですね。

で、死んだらどうなるの?なんていくら考えてもわかるわけ
ないですね。死んだら土塊になってそれでゲームオーバー
だと思っています。聖書でもそう書いてあるし、まあ「復活」が
あるというのもほんとかウソかなんてわからない。

わからないことをいくら考えても無駄。それよりも生きている
ことさえ充分に「苦」なんだからそれを解決する方法を考えな
さい。私が教えてあげますよ・・と、お釈迦様は言っていたよう
です。

・・と、言われてもねえぇ。アホな私の頭で考えても死後のこと
なんてわかるわけないのはわかっているけどやっぱり気に
なる。でもね、これは高僧だって同じだと思う。あの世の世界
をビデオでも撮って帰ってきたなんて人はいないんだから。

だから、わからなくてもいいからせめて死に対して自分の
立場というか、なにか納得できる自分なりの理屈が欲しいと
思う。安心して死ねるような自分なりの理屈みたいなもの。

魂の存続とか霊界を信じ切れる人はそれでいいと思う。
私はとても納得出来ないけど。不合理なことを不合理のまま
に受け入れるのが信仰みたいです。「不合理故に我信ず」
とは椎名麟三さんだったかしら。

そう、要するに納得したいだけなんですよね。
で、最近、手当たり次第にそのヒントが得られそうな本ばかり
衝動買いしています。果たして私なりに納得できるヒントが
得られるかしら?

まず、原始仏教関係から始めようと思いました。ちなみに、
最近、注文した本は「始まりのブッダ」「脳と魂」「一休」「無知の
壁」「死の壁」「釈迦の生涯」「人間臨終図鑑」「ブッダのことば」
「希望のしくみ」「死後はどうなるの?」「一休和尚大全」「アミタ
ーバ」「中陰の花」「狂雲集」・・ほかにも本屋さんに注文してい
ますが忘れました。積ん読本になりそう・・ぶつぶつ。

020.jpg

果たしてこの中に納得できる何かを見つけることができるか
できないか自分でもまったくわかりません。
瀬戸内寂聴さんや養老孟司さんは死ぬことは全然恐くない
そうですがほんとだったら羨ましいな。

で、いきなり脱線します(笑)
10月に鉢植えに山椒の木が芽を出していたのでびっくり。
たぶん、山椒の種でも撒いたのかしら?
自分でも覚えていない。これがもうすご~く嬉しかった。

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で、大事に育てようと慌てて別の鉢に移しました。
でも、10月に移すなんて失敗かな?・・案の定、枯れてきた。
あー、やっぱりダメかあ。
・・と、思っていたら小さな芽がまた出てきた。わーぃ!凄い!
心がほかほかと暖かく明るい気分になった。

015.jpg 004.jpg

もうひとつ、これはウバメガシのどんぐりを拾ってきたのを
同じく鉢植えに(まったく期待しないで)投げておいたら芽が
出てきた。
このどんぐりは新潟ガンセンターの入口近くの植木の下の
落ちていたもの。凛として青々としたその木が急に大好きに
なった。ウバメガシは新潟にはないと思い込んでいた。

014.jpg 001.jpg

でも、なぜ、こんなにも嬉しいんだろう?
わからないけどとにかく無性に嬉しい。植木や花には全然、
興味のない人間なのに自分がわからない。 
無意識に死と正反対の何か?を感じているからだろうか?
わからないのは無理にこじつけをせずにほっておこう。

あ・・外で猫がないている。

この寒空に泣いているように聞こえる。で、急いで外に出て
いっても不思議と会えない・・。行き違いなんだろうけど気に
なる。冷たい風の中、そのなき声が哀しく切なく聞こえた。
なんだか生きることは切ないなあ・・と、思う・・ぶつぶつ。

最後に「人間臨終図鑑2」から山田風太郎氏の言葉。

  • 「死の瞬間に、何びとも悟るだろう。人生の目的なるものが、
     いかにばかばかしいものであったかを。」

  • 「・・・いろいろあったが、死んでみりゃあ、なんてこった、
     はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」


皆さんは死んだらどうなると思いますか?あるいはどうなると
思いたいでしょうか?あの世なんてあるかないかわからないん
だから所詮は自分なりの納得できるストーリーというかイメージ
を作るしかないんでしょうね、きっと。

最後まで勝手な戯言にお付き合いいただいた皆様には
心から感謝します。どうか皆様にいいことがありますように。 


 <ジョーク

親子で仲良くお散歩。 
息子はちょうど何でも知りたがる年頃、質問が始まった;
「父上、神様っているんですか?」 

こういう問いには目を見据えて答えてあげなければいけない;
「そう、神様は存在しますよ。注意深く観察してごらん、
 世の女性たちがいればこそこの世は優雅だろう。
 それだけでも神様がいるってことが分かるよね。」

これを聞いた息子は沈思黙考。 
再度質問が始まる;
「父上、神様がいらっしゃるのなら、天使はどうなんですか?」

 
父親の回答;
「そう、天使もいますよ。女性たちの笑い声を聞いているだけで、
 天使の歌う声が聞こえてくるよね。」

再び息子は沈思黙考。 
父親を見上げて質問が再開する;
「父上、神様も天使も、いるのですね。では、悪魔は?」 

息子の質問に舌を巻いた父親、得々と説明する;
「息子よ、女性に腹を立ててごらん、それだけで、悪魔とは
 じきじきに会うことができるよ。」




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楽しく生きよう

今年私は2回死に対して考えました。
私の場合は何も夢を見ない眠りについた状態と同じように意識がなくなりそのままなのだと思います。
寂しいとは思いますが、その先に魂が意志を持ってどこかで存在し続けるとは思わなくなりました。
今はそれでも佳いのかななんて思っています。
by 楽しく生きよう (2014-12-27 16:00) 

昆野誠吾

なかなかコアなタイトルですね^^
死ぬと他人との関わりや社会での役割、
人類の進化や歴史から弾かれるという気持ちが
恐怖の源ではないかと私は考えています。
好きな人、大事な人とお別れせねばならない。
時代の流れから外れるという疎外感などです。
でも、私たちの理性って心って何か。
私は脳で作られたイメージの世界だと思っています。
ヒトが生存するのに便利なツール。なので死んで
イメージ製造装置の脳が機能しなくなったらソコまで。
意識なんてものも脳が作り出しているものなので
まさしく夢を見ない睡眠状態が永遠と続く、って感じ?
父が亡くなってからよく考えるようになりましたが、
父の意識は死んだ瞬間消滅。記憶も何も残った家族や
父を知る人の中だけに父の意識に似たイメージが残るのだと。
でもそんな風に考えると寂しいですね。
父の意識が今も何処かで皆を見ていると思う方が
人生楽しいのかもしれません^^b
脈絡もなく長文、失礼しました。
私もこうして自分の独り言をたまには訴えたいと思いました^^
by 昆野誠吾 (2014-12-27 18:20) 

心如

 死んでしまえば、すべての苦しみから解放されるかも知れません。でも、死にいたる過程がどうなのかが問題です。痛みや苦しみがなければよいのですが。、、日頃は、分ったようなことを言っていても、いざ病気になったらもがき苦しむのかもと思います。
by 心如 (2014-12-27 21:26) 

いっぷく

20代の頃、結核になって
でも自分は不治の病だと誤解していたのですが、その頃
亡くなったら生まれ変わるのかなあ
虫や動物だと嫌だな。やっぱり人間がいいな
でも前世のことは思い出せないのかな
思い出せれば失敗のより少ない人生にできるのにな
生まれ変わるのに何百年もかかったら長いな。
なんて毎日のように考えてましたね。
で、元気になったら心を入れ替えて
こうもしたいああもしたいとか思っていましたが
実際元気になったらそんなことは全部忘れてました。
でもやっぱりまごのてさんがおっしゃるように
意識は物質(肉体)が作り出すものなで
肉体が終わったら何もないのだと思います
夢を見ないで寝てるような状態なんでしょうね
by いっぷく (2014-12-28 05:43) 

pandan

今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えくださいませ。
by pandan (2014-12-28 09:25) 

toyo

楽しく生きよう 様

勝手な駄文にも関わらずさっそくのコメントを感謝します。
2回も死について考えられたというのは、きっとよほどのことが
あったのでしょうね。人はみな外見だけではわからないですね。
楽しそうに見えても悩みを抱えていたり・・。
>今はそれでも佳いのかななんて・・
私もそう思いたい、というかそう思えるようになりたいと願って
います。たしかに寂しいですけど仕方ないですよね。同感です。
どうか、楽しく生きよう様にいいことがありますように。来年も宜しくお願いいたします。

by toyo (2014-12-29 10:08) 

toyo

昆野様

丁寧なコメントを感謝します。

>まさしく夢を見ない睡眠状態が永遠と続く、って感じ?

楽しく生きよう様の・・
>何も夢を見ない眠りについた状態と同じように意識がなくなりそのままなのだと思います。

・・と同じようですね。そして、私もそんなふうに思っています。
なんだか、仲間が増えたようで嬉しいです。

それから死の恐怖の元は・・
>人類の進化や歴史から弾かれるという気持ち
>好きな人、大事な人とお別れせねばならない。
>時代の流れから外れるという疎外感

・・というのも同感です。仏教的には執着ということになるのかしら?自営業ってのは孤独な面があるので、疎外感には慣れて
いるような気もしますが、でも寂しいという感情はあまり味わい
たくないですね。
それから何か不完全燃焼の人生で終わりたくない・・これも執着
なんでしょうが・・気持ちはあります。欲なのかしら?

いろいろ考えさせられるコメントをありがとうございます。
大いに参考にさせて頂きます。
どうか昆野様にもいいことがありますように。
来年も宜しくお願いいたします。

by toyo (2014-12-29 10:32) 

toyo

心如 様

コメント感謝します。
>でも、死にいたる過程がどうなのかが問題です。痛みや苦しみがなければよいのですが。、、

死後がどうなのか?ということよりも、実際問題としてこの「死に至る過程」が大問題というのは切実に同感します。あまり言いたくないのですが・・妹の場合も亡くなる2ヶ月前くらいからは激痛に襲われて痛々しいものでした。まるで拷問だと密かに思いました。あらゆる痛み止めの処置をしていただいたのですが私はもうこれ以上見ていられないから解放してやってくれ・・とさえ思いました。
いや、ここまで痛みを継続させる神様を呪うような気持ちになったのは確かです。もっと、ハッキリ言うと、神の不存在を確信したような気持ちになりました。神様への八つ当たり‥・ですね。
せめて逝くときくらい健やかに逝かせてやってと切に思いました。
だから心如様の「痛みや苦しみがなければよいのです」というご指摘は切実にほんとだなあ~と思います。

どうか心如様にもいいことがありますように。
来年も宜しくお願いいたします。
by toyo (2014-12-29 10:57) 

toyo

いっぷく様

コメント、ありがとうございます。
「喉元すぎれば熱さをわすれる」みたいですね。でも、人間てみんなそうだという気もします。私なんかもっとひどいかもしれない。仏教的には、全ては変わる・・・そうですから、肉体も一秒前の自分はもういない・・とかいいますので仕方ないんだと思います。いいほうにどんどん変わっているかもしれないし・・笑

>意識は物質(肉体)が作り出すものなで
肉体が終わったら何もないのだと思います夢を見ないで寝てるような状態なんでしょうね

楽しく生きよう様、昆野様、心如様も、いっぷく様もみなさんのお考えを聞かせていただいてホッとしました。私も同じだからです。
勝手に同じ考えのお仲間がふえているようで安心しました。

どうか、いっぷく様にもいいことがありますように。
来年も宜しくお願いいたします。
by toyo (2014-12-29 11:55) 

toyo

pandan 様

こちらこそ駄文にお付き合いいただいて感謝しています。
どうか、pandan様にもいいことがありますように。
来年も宜しくお願いいたします。ありがとうございました。
by toyo (2014-12-29 11:57) 

heisei-yamada

自分自身が亡くなったあと、
自分自身の細胞が生き続けていたとしたら・・・。

自分自身の細胞と他人の細胞が融合して、
産まれてきたのが子供ですよね。
言ってみれば、子供の半分は自分自身の細胞で、
残りの半分は配偶者の細胞でできているということ。

日めくりカレンダーをめくるかのごとく、
細胞が次から次へと身体を乗り継ぎ、
進化(融合)を繰り返しながら生き続けているとしたら、
toyoさんの細胞は、古い身体から新しい身体に
すでに移動を済ませたのかも・・・!?

日めくりは、一日終わったらビリビリと破られて、
丸められてゴミ箱にポイッっと捨てられて終わり。
そして何事もなかったように新しい一日が始まる。
捨てられた紙に意味などなく、燃やされて終わり。

toyoさんや私の来世は、
すでに子供という形になって、
目の前に現れているのかもしれません。

な~んてコトを最近は考えていたので、
ちょっとタイムリーなブログ記事でした。

分かりづらい文章ですみません。
by heisei-yamada (2014-12-29 15:28) 

toyo

yamada 様

てんで思慮深くない今回の記事にていねいな示唆深いコメントを感謝します。あっと思いました。
私と家内の細胞で私達の子どもたちができているとしたら、私は私の両親の産物でもあり(もちろん、家内も家内の両親の産物ですが)、さかのぼって考えれば、私の両親も祖父母の産物であり・・どんどん遡れば人類発祥の何か?初めがあったはずで・・とにかく私は私であると思っていたけど実はわたしは過去の総体である一過性の存在に過ぎない・・ということになりますよね。私は私であるけれど自らの意志で存在したわけではなく私の自我なんて、その程度のものかもしれません。自我に固執することの愚かさを教えられたようなような気がします。そーなのか、そうかもしれない・・。これは私にとって大きな気づきになるかもしれないです。
ありがとうございました。もっともっと考えてみることにします。
凄い示唆とヒントを頂きました。

どうかyamada様にいいことがありますように。
来年も良い年であリますように。


by toyo (2014-12-29 23:48) 

お名前(必須)

年上の知人が云ってたこと。
『人ひとりが死ぬということは図書館がひとつ燃えたことに等しい』
なるほど、うまいこと云うなあと、すんなり腑に落ちたです。
父が死んだ時には、あたしが知らない自分について最大の蔵書数を誇る図書館が
燃えて消えたことを強く感じて悲しかったなあ。

この知人は、その後、だいぶ経てから自死してしまいました。
この人はあたしが興味を持っている分野で大変な知識をお持ちで、
まさに図書館がひとつ燃えて消えたというかんじ。
自死した友人のことを繰り返し語っていたなあ。
あれは自分もという気分があって、自分を助けてくれと空に向かって云っていたのかもなあ。
だから、自死した聞いてもそうは驚かなかった。
うっすら感づいていても、アタシはどうにもできない。

あれは誰だったかなあ、歌舞伎役者が云っていたこと。
『もう死んでしまおうかと思っている方に、ああ生きていて良かったという気持ちになってお帰り頂くのが自分たちの仕事なのだ』
うん、そういう仕事は価値があるぞ、高額所得な河原乞食諸君、頑張ってくれたまえ、とエールを送りたかったですよ。
by お名前(必須) (2014-12-31 01:08) 

toyo

ねりね様

『人ひとりが死ぬということは図書館がひとつ燃えたことに等しい』
なるほどなあ、でも、私の場合は図書館じゃなくてそのへんの公民館の図書室くらいなんだろうなあ。いや、違うかなあ。きっとコンビニの週刊誌コーナーくらいなんだろうなあ・・ぶつぶつ。

自死ですか。本人が選んだ道ならどーにもならないですね。自死を思いとどまらせるほどの自信ある生き方を自分でもしてこなかったし、切ないけど仕方ないというか。

『もう死んでしまおうかと思っている方に、ああ生きていて良かったという気持ちになってお帰り頂くのが自分たちの仕事なのだ』
これは最高ですね。かっこ良すぎるというか。高額所得者で余裕があるからそんなこと言えるんだろうなあ、とかひがんでしまう・笑

なんといっていいかわからないですが考えさせるコメントを感謝します。どうかねりね様・・ですよね、たぶん?間違っていたらごめんなさい。
ありがとうございました。



by toyo (2014-12-31 16:37) 

ねりね

そうです、ワタクシで御座います。
名前を記入するのを忘れておりました。

まあ、あれですよ、良く言えばサブカル、エログロ三面記事の宝庫な大宅図書館ってのもあるわけで。。
図書館の最高峰といえば国会図書館。
あそこの何が素敵って、全てが所蔵対象だから何でもある。
(実際には全ての物があるわけじゃないけど)
立派か立派でないか、くだらないか・くだらなくないかという選択をしない。
書物はとりあえず所蔵する、全てが等価。
喰えるか喰えないか、栄養があるか無いか、そんなことは問題じゃない、
目の前にあるモノはとりあえず噛るというシロアリさんのようでありませんか。
その凄みが素敵だ。

国会図書館は東京有数の観光地だと思う。
入場無料、国籍性別利用目的問わず誰でも好きなだけ利用できます。
図書館や本屋の空気が好きな人にとっては居心地の良い場所です。
税金使いまくってますから建物立派、食堂の味と価格もソコソコ。
ブッダについてもウタマロについても読み放題・見放題。
東京での休暇を過ごす場所として、国会図書館という選択もあると頭の隅にどうぞ。
観光案内に出てこないのは、観光地にされてたまるかと圧力かけているからじゃないかなあ。
by ねりね (2014-12-31 21:46) 

toyo

ねりね様

重ねてコメントを感謝します。
まあ、私はエログロ三面記事の方ですね。
そうかあ、国会図書館という手があったんですね。

>立派か立派でないか、くだらないか・くだらなくないかという選択をしない。書物はとりあえず所蔵する、全てが等価。喰えるか喰えないか、栄養があるか無いか、そんなことは問題じゃない、
>ブッダについてもウタマロについても読み放題・見放題。

素敵ですね。今度そっちに言ったら是非、寄ってみます。
一日いても・・いや一日じゃあとてもたりなさそうですね。こんなことなら本屋さんに大量注文するんじゃなかったなあ・笑

まあ、でも、きっと国会図書館に行ったら私なんかあっちにふらふら、こっちにふらふらで結局、半文ノイローゼになるかもしれません。それでなくてもいつも優柔不断人間ですから。

なんかTVを見ているとアメリカで2歳の子どもが母親を撃ち殺したとか、インドネシアで墜落した飛行機の遺体が見つかったとか、どっかの病院で間違って投与した薬剤で患者がしんじゃったとか、ろくでもないニュースばっかり流れてきて・・う~ん、今年も来年もろくでもない年になるのかなあ~なんて思います。当地は大雪になりそうだし・・ああ、すみません。それが世相なんでしょうね。

どうかねりね様にいいことがありますように・・なんて言ってもねえ‥・という気がしないでもないけど、とりあえず良い年になりますように。コメント、ほんとに感謝します。

by toyo (2014-12-31 23:52) 

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