イタリアで思ったこと [イタリア紀行]
皆さん、こんにちは。
今日はとてもつまらない記事なのでどうか途中からでも
パスしてくださいね。と、あらかじめお断りしておきます。
というのは、初めてのイタリアで(昔、教科書で見たことの
ある)名画や有名な教会などをたくさん見てきましたが、
見れば見るほど、
「こりゃあ、世界平和なんて絶望的だなあ~」という思い
でした。
ふつうならミケランジェロさんやその他の有名な絵画などを
見ればその素晴らしさに感動するのがまともなのでしょうが
私は随分おかしな反応をしてしまいました。
たしかに美術史的には、えらく手間暇のかかった建築物や
絵画にすごいなあ~とは思うけどあんまりそっちの興味は
わかないのでした。
(時の神クロノスが父ウラノスの男性器を切断して空高く放り投げ海に落ちた。
そこから白い泡がたち、中から美と愛の女神アフロディテが誕生した・・なんて
面白いですね)
私にはそれらが「強烈な煩悩の集積群」に感じられて仕方
がなかった。キリスト教という強固な価値観が、これでもか!
という感じで行く先々で圧倒的に迫ってくる感じでした。
で、なぜ称賛ではなく絶望を感じたのか? というと、とても
説明しずらいですが、宗教的価値観の衝突が悲惨な歴史
の諸悪の根源だと思うからです。
(バチカンに入ってすぐに、このような有名絵画による写真で天地創造から黙示録
の説明がありました。なるほどねえ~・・しっかりプロパガンダしてますね)
さらに突っ込めばすべての価値観の根源は「自我」であると
思うからです。自我、自我、こいつが超厄介な代物と思って
います。
自我、個性、信念、魂、アイデンテティ・・どう呼んでもいいけど
よ-するに「自分が自分である」という感覚はそんなに絶対
的なものなのかしら?
私なんかコロコロと自分の考えが変わってしまって、もう自分
自身とも付き合いきれない感じのいい加減人間です(笑)
でも、ブッダ的な考え方ではそっちがまともらしいです。
所謂、「無我」ですね。凄い飛躍、意味わかりませんよね(笑)
(ギリシャ神話ってとんでもない神様が多いですね。そこが面白いんですけど)
無我について話すと・・いや私にはまだまだ無我なんてわか
らない。というわけで初期仏教のブッダの言葉を手掛かりに
して ただいま、自我を検証中なので、いや解体中・・といった
ほうがいいのかもしれない。
てんで訳の分からないことを書いてしまいました。思うことの
百分の一も書けない自分が切ないですが・・どうか無視して
大目に見てくださいね。失礼しました。
どうか皆様にいいことがありますように。
そして生きとし生けるものが幸せでありますように。
<ジョーク>
上空500マイルでの出来事
「パイロットから管制官へ。大西洋上空500マイルで燃料切れ、指示を請う」
「管制官からパイロットへ。こちらの言う事を反復せよ。
天に召します我らの父よ……」
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