暴虐無人な華ちゃん [ありがとう]
みなさん、こんにちは。
うちにも華ちゃんが何日か逗留しています。
まさに暴虐無人。小さな独裁者。アウトロー、
それが華ちゃんです。こいつはちょっと困ったなあ。
まあ、全ては無常だからアウトローは当たり前・・
と思ってはいますが子どもは極端だよなあ~、まったく。
今日、印象に残ったのはファミリーレストランで順番
を待っていたときに隣に居た母?と娘さんの二人連れ
でした。
動が必ずしも悪いとは思わないけど、静が裏打ちされて
いないと動は浮ついたものになる気がします。
いきなり風林火山という言葉がよぎる。動かざること山の
如く、しかし、いったん動いたら疾(はや)きこと風の
如し・・・だったか。私もそうなりたい(笑)
さてさて、もう少ししたら華ちゃんにお茶か座禅か瞑想か、
落ち着く時間を習慣にさせる手立てを考えたほうがいい
のかなあ・・ぶつぶつ。
その前に私がヴィパッサナー瞑想を実践しなくっちゃあね。
・・とか思っています。
(ヴィパッサナー瞑想とはブッダが実践した瞑想法のこと)
瞑想する習慣を持っている子はとても集中力と怜悧な
優れた資質をはぐくむようですから。
(最近、印象に残っている言葉)
ときどき「どうせ死ぬのだから、無駄だ」と言う子が
います。まだ、生まれて日が浅いのに、もう死のことを
真剣に考えていたりする。
すると親は困るのです。「ちょっと変な子どもだ」
「妙に冷めている」「白けている」「今のうちに軌道
修正しておかないと、あぶない」と慌てる。
しかし本当は、その子は素晴らしい能力を発揮している
のです。
この「人間はどうせ死ぬのだ」というところからこそ、
人生論を築かなくてはならないのです。
この「人間はどうせ死ぬのだ」というところからこそ、
人生論を築かなくてはならないのです。
そうすると道徳的に立派な、頭の良い人間になるのです。
真の幸福を得られるのです。
ところが大人は、その鋭い洞察を、「暗い」「悲観的だ」
と、よってたかってつぶしてしまうのです。
ー無常の見方より・アルボムツレ・スマナサーラ著
例によって脱線してしまいました。
最後まで駄文にお付き合いいただいた皆様には心から
感謝申し上げます。
どうか皆様にいいことがありますように。
そして生きとし生けるものが幸せでありますように。
<ジョーク>
生活費を1円でも節約するためにトイレも流さないほど
ケチで有名なリンダであったが、流行病にはかなわず、
家族に見守られて臨終の床にいた。
医者がリンダの脈をはかり、「…そろそろです。」と
首を振った時、リンダはかすかに目をあけて、今にも
消えてしまいそうな小さな声でこう言った。
「ジョン…私の愛する夫、ジョンはどこ…」
「リンダ。ここだよ。」
「子どもたちはどこかしら…」
「ママ、ここにいるよ。」
「叔父さん、叔母さんは…」
「ここだよ。家族は全員残らずここにいるよ。」
激怒したリンダはベットから躍り上がってこう叫んだ。
「じゃあキッチンの電気を消しなさい!!」
2017-05-07 23:09
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コメント(2)
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大きくなりましたね。
この頃のお子さんは、どんどん成長しますね。
「動」は、日々の暮らしを刺激として、
色々学んでいる“成長の道順”なのだと思います。
by いっぷく (2017-05-09 08:33)
いっぷく様
コメント、ありがとうございます。
たしかに華ちゃんを見ていると「学ぶ」って「真似ぶ」
なんだなあと思います。
とても注意深く大人のすることを観察して自分も
しようとするんですよね。うまくいかないと泣き
喚くけど(笑)
「やってみて、言って聞かせて、ほめてやらずば
人は育たない・・」だったか?。その通りだなあと
思っています。
でもねえ。こっちも連続だと疲れます(笑)
どうかいっぷく様にいいことがありますように。
ありがとうございました。
by toyo (2017-05-09 09:37)