北インド・御来光と仏像と不感症? [インド巡礼2]
みなさん、こんにちは。
今回もどーでもいいインドの記事です。
お時間があったらお付き合いください。
いきなりですが、みなさんは日の出とか朝日とか御来光
というシーンに感動しますか?
今回の旅で二度(ガンガーと霊鷲山)日の出というか御来光を
体験しました。
同行の皆さんは、とても感動していたようですが私は全然
な~んにも感じない。う~ん、御来光不感症みたい?
(左がガンガーの御来光。右は霊鷲山(りょうじゅせん)の御来光です)
まったく情けないほどに、なあ~んにも感じないのです。
広辞苑で「御来光」を調べたら・・
①高山で望む荘厳な日の出の景観をうやまっていう語。
{-を拝む}②御来迎に同じ。
・・と書いてありました。
でも私は「荘厳さ」も「うやまう」感情もちっとも起きては
こないのでした。
(霊鷲山って、けっこう高台にあるんですね。登るのに疲れました)
(左がガンガー、右が霊鷲山・・しつっこい・・すみません)
(御来光よりもこっちの写真が爽やかで好きです)
自然に対する畏敬の念が決定的に足りないのかな?
そもそも自然自体もリアルに感じた記憶がない。
ということはリアルに生きてこなかったからかしらん?
とかなんとか、マイナス感情がむくむくと沸き起こってくる。
(上品なお釈迦様とエロっぽいカップル?・笑)
仏像についてもそう。州立博物館でたくさんの仏像を見た
けれど、どれも感じないというかただの石の彫り物。
今度は仏像不感症?
帰ってきてから知り合いのSさん御夫婦にインドの写真を
見せに行きました。
この御主人は「気を感じる力」が凄くて以前、東京近代
美術館で何年ぶりかで開陳された仏像(詳細は忘れました)
を見に行ったとき、仏像(木彫)の発するそのすさまじい
「気」に圧倒されたと言っていました。
仏像よりも仏像を入れたぼろぼろの木箱?からものすごい
気が発していたそうです。また、石にも気を感じるそうです。
水晶などが特に強い気を出しているとSさんは言います。
「Sさん、このインドの仏像の写真からでは感じませんか?」
「う~ん、写真では無理ですね」
「でも、もし、Sさんがここに行っていたら感じるでしょうね?」
「うん、古代の仏像ならきっと凄い気が出ているでしょうねぇ」
あー、きっとそうなんだろうなあ。
それに比べて私はなんて鈍感なんだろう・・ぶつぶつ。
でも、感じないものはしょうがない・・ぶつぶつ。
最後に、私が感動したもの・・・州立博物館の庭の写真です。
クマールさんの説明によるとリンガーだそうです。
アレです、アレ・・(笑) リンガー合体の図といいますか(笑)
ダイナミックで大変よろしい・・なんて(笑)。
日本の道祖神にも似たようなのがありますね。
あ、秘宝館などにも・・。でもダイナミックさではこっちが勝ち。
う~ん、所詮、私は煩悩にまみれた人間なんだなあ~(笑)
でも、(今のところは)それでいいのだ!(笑)
ところで、みなさんはやっぱり御来光は素晴らしい!と感じる
のかしら?本音を聞きたいです。
最後までお付き合いいただいて感謝します。
どうか皆様にいいことがありますように。
<ジョーク>
田舎のオッちゃんがかみさんを連れてお祭りに出かけた。
こういう義理も時には果たさなければなるまい。二人は家畜
品評会場をぶらつく。牡牛の展示場所にさしかかると、一枠
一枠に説明板が付いているのに気が付いて、牡牛とうたい
文句を見比べてみた;
「この牡牛の種付け回数は去年50回」
かみさん、旦那に向かって;
「1年に50回だって、結構行ける牡牛じゃないかしら!」
次の牡牛の宣伝文句;
「この牡牛の種付け回数は去年65回」
かみさん、旦那に向かって;
「去年65回だって。1ヶ月あたりこっちの方が5回多いわ。
参考にしなくちゃいけないわね!」
次の牡牛の宣伝文句;
「この牡牛の種付け回数は去年365回」
かみさん、開いた口が塞がらないものの;
「ワオー。 去年365回だってさ。一日当たり1回よ!!!!
あんた、絶対この牡牛に見習って欲しいわ!」
ホトホト参った旦那がかみさんに向かって;
「同じ年寄り牝牛を相手に毎日お勤めしていたのかどうか、
行って聞いてこいよ!」