気まぐれ華ちゃん [ありがとう]
皆さん、こんにちは。
孫の華ちゃんが泊りがけで遊びに来ました。華ちゃんと
遊んでいるととても興味深い発見があります。
つい最近までは正直言って、発見なんて余裕はなく翻弄
されるというか扱いが難しかった。コミュニケーション
が採れないのでどう対応していいかわからなかった。
いくつか言葉らしきもの?をしゃべるようになってきまし
たが何しろ相手は喃語(なんご)ですからね。
ミーコとたいして変わらない。喃語と片言の言葉とボディ
ランゲージが主です。
でも、最近はわかってきたぞ。
ヘンなことをいうなあ~と思われるかもしれないけど
「ブッダの教え」を華ちゃんに当てはめて観察すると納得
することが多い。
ブッダは人間には「芯となるような自我はない」と言って
います。アートマンというか、そういうものはないそう
です。無我なんだ。無常なんだ‥そうです。
(とても大雑把で飛躍した言い方でごめんなさい)
華ちゃんを見ているとまさに当たっている・・と思うの
です。とにかく華ちゃんは「気まぐれの塊」です。瞬時に
心が変わる。興味ある対象が次々と変わる。ブッダの言う
ように心って「川の流れ」です。猫が3歩、歩くと・・あれ?
何処に行くんだっけ?に似ている(笑)
これにまともに対応しようとすると翻弄されて疲れてしまう。
でも心が「川の流れ」あるいは「気まぐれの塊」というのは
実はすべての人間も同じだと思う。私だって心はコロコロと
瞬時に変わっている。感情だって制御する難しさは毎日感じ
ている。ただ、表に出さないだけ。社会生活を営む上では
まずいですからね。
ということは、華ちゃんと付き合うときには私も思いっきり
「気まぐれの塊」全開になればいいんだ。なあ~んだ簡単だ。
・・と思って実行したら、あら、不思議!華ちゃんはキャッ
キャッと大喜びです。無我には無我で対抗するのだ(笑)
気まぐれなら私だって負けないぞ。
とかなんとか訳の分からないことを書いてごめんなさい。
あ、「ブッダの教え」についての深入りは避けますね。
私的には「ブッダの教え」=「初期仏教」=「ブッダの肉声
に最も近い」と思っています。
間違いなく言えるのは「ブッダの教え」は、いわゆる「宗教」
とは本来、全くの別物だと思っています。だから「仏教」という
言い方よりも「ブッダの教え」というようにしています。
そこには神秘性の欠片もなく極めてクールな教えだと思います。
非情?なほど超前衛的というか、見方によってはアナーキーで
超クール。
個人的にそのクールさが大好きなんですが・・とかなんとか。
あ、深入りしないと言ったのにすみません。シロアリ屋の宗教
談義なんてシャレにもなりませんよね。どうか大目に見ていた
だけますように。ごめんなさい。とかなんとか。
私的な発見とは、子どもと付き合うにはこっちも子どもになれ
ばいい・・かしら?(笑) なんじゃこりゃ!(笑)
最後までつまらない個人的趣味的嗜好的な記事にお付き合い
いただいて感謝します。どうか皆様にいいことがありますように。
そして生きとし生けるものが幸せでありますように。
<ジョーク>
医者と大工と政治家が議論している。
医者
「神はアダムのあばら骨からイブをつくった。外科手術を施す
医者こそ世界最古の職業だ」
大工
「いや、神はカオス(混沌)からこの世界を建設した。だから
大工が世界最古の職業さ」
政治家
「そのカオス(混沌)を作り出すものは誰かね?」