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群れるのは嫌い [バカ丸出し]

皆さん、こんにちは。

極めて個人的な雑談的独白を書いてみます。
だから、ちっとも面白くないのでパスすることをお勧め
します。自分の心の整理のため・・だけが目的の文です
ので、勝手な言い草ですみません。

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昔から群れるのは嫌いでした。
小心者だからです。おまけに人一倍劣等感が強い。

こりゃあ、いい人生は送れそうもないな。それどころか
いつ引きこもりになってもおかしくない。

とにかく生きることに不得意だった。
だって、生きることって自分以外の人とかかわりを持つ
ということでしょ。

そのかかわりをもつことが苦痛だった。
それでいずれは外出もままならなくなるな、という予感
がした。

なぜこんな人間になったんだろう?と考えた。
根本的な原因は「不安」だった。その正体をはっきりさ
せないと生きられないと思った。

どこから自分は来たのか?そしてどこに行くことになる
のか
皆目わからない(今だってわからない)

だから良寛さんの「そもそもの初めそれは知らぬ。いよ
いよの終わり、それもまた知らぬ・・・」という詩には
激しく共感した。

でも、自分だけじゃないことを知って少し安堵した。
そして徹底的に自己分析をした。思い出せる限り幼少時
に遡って自分がどんな人間だったかつぶさに調べた。

その結果、どろどろとした醜いものをいっぱい自分の中
に見つけた。でも、ほんのちょっとだけど「いい奴」の
自分もいた。


そうか、それなら自分の中の「いい奴」も「悪い奴」も
ありのままに受け入れよう・・と思った。
それしかないと思った。

でも「いい奴」はともかく「悪い奴」の自分は受け入れ
たくない!と、もう一人の自分が激しく抵抗する。

でもでも、他に選択肢はないとも思った。
だって受け入れるしかないじゃん。事実なんだから。

エエカッコしたってなんの解決にもならないんだから。

それは自分の内臓を取り出して、白日の下にさらすよう
なキツい作業だったけど・・。

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認めた。

認めた瞬間、不思議だけど心がスーッと楽になった。
それは観念的というより肉体感覚に近かかった。
あー、心って、生理感覚と直結しているんだ!と思った。

ほんとに自分を認めたら肉体も納得するみたいだ。
そういえば某心理学者が「納得する」ことって理性だけ
では不十分で「感情」も納得してはじめて「腑に落ちる」
ものだと言っていた気がする。

例えば、数学の難問でも、ほんとに「あ、わかった!」と
いうときは必ず身体感覚も同時に付随しているようだ。

頭だけで観念の操作をしたって楽にはなれないと思った。
自己啓発本の「前向きの人生論」の付け焼刃ではダメだ。
アファーメーションというのも一時的に元気になっても、
三日後には元に戻るというか長持ちしないのだ。

解放されるにはまさに五臓六腑の「腑に落ちる」ような
納得というか感覚にまで行かないとダメみたいだ。
それには「正直」さと「勇気」が必要だと思う。

ほんとの勇気とは「ダメな自分をごまかさないで認める
か、否か」で試されるような気がする。外部的な対応力
というか張ったりや見栄ではないのだ。
ダメな自分を認めるか認めないかの戦いだと思う。

RIMG0267.jpg

以来、人から馬鹿にされるシーンがあっても、
そんなこと
どーでもよくなった。傷つかなくなった。馬鹿にされても

ありのままでいいと思った。なによりそのほうが圧倒的に
楽だもんね。楽であることは、私には何物にも代えがたい
大事なこと。

で、近年、思うのは今までいろいろ「自分」にこだわっ
生きてきたけど「こだわりの人生」とか「信念」なんて
百害あって一利なし。ろくなものではないということ。
自己実現なんて幻想だ。自分探しも確実に徒労に終わる。

そもそも自己実現という前にその「自己」って何だろう?
「我思う、ゆえに我あり」の「我」って何だろう?
岩のように確固とした自己なんて自分の中のどこを探して
も見当たらない。


ブッダさんは「無我」と言っている。「我は無い」そうだ。
う~ん、ブッダの無我ってどういう意味?
現に私は肉体を
もって存在しているのに、それを「お前は
いない=存在し
ていない」とでもいうのかな?


調べたらわかった。
ブッダの無我とは「自分の奥に自分の
心の芯となるような
核はない」という意味だった。タマネギの皮をどんどん剥
いていっても中心部に種はないというイメージだ。

RIMG0268.jpg

別の言葉で言えば、生老病死のどれひとつも人間はコント
ロールできないでしょ?とブッダは言っている。

それは何となく昔からそう思っていた。ものぐさ精神分析
の岸田秀先生も確かなんかの本でそういっていたようだ。

じゃあ、ブッダの無我はいいとして「それでも自分がある
という実感」は一体どこからくるの?と思った。

それについては実に詳しく、そして徹底的に科学的に順を
追ってブッダは説明していた。仏教に興味はなかったが
調べてみると宗教ではないとわかった。極めて理にかなった
科学的なコーチング法といったほうがいい。

真実の心を見つめるメソッドを段階的に丁寧に説明してい
るのが仏教だ。いや「ブッダの教え」といったほうがいい。

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えーっ、今まで仏教を誤解していた、と思った。
これは宗教でないと思った。ブッダは信仰心など必要ない
と言っている。逆に徹底的に疑うことを勧める。納得でき
ないことは受け入れるべきではないと言っている。

一神教の「上から目線」の「押し付けられた価値観」など
はブッダは真っ向から否定している。ちょうど数学の問題
を解くように、自己という曖昧な存在をこれでもか、と分
析した人だと思う。

物理学者なら「物質」を対象にして研究するようにブッダ
は「心」を研究対象にして、おそらく極限まで考察分析し
た人類最初で最強の人、というか科学者に近い人だと思う。

だから多くの科学者が受け入れるというか、思考法が科学
と同じだから科学と親和性があるのも当然だと思う。
(養老猛先生は解剖学者として得た長年の知見を本にまと
めようとしたら、なんと2500年前に既に初期仏教に書か
れていたのを知ってびっくりしたそうですね)

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メソッドは既にあるのだから、あとはそれを自分に照らし
徹底的に検証してみればいい。とかなんとか・・
というのが今の私の現状・・。

ところで、なぜタイトルを「群れるのは嫌い」なんて書い
たんだろう?う~ん、忘れてしまった。
確かに私は集団行動が大の苦手だけど・・ま、いいか(笑)

もしかして最後までお読みいただいた人がいるかもしれない。
そうだったらお付き合いいただいてありがとうございます。
全然、ためにはならなかったと思いますが。

どうか皆様にいいことがありますように。
そして生きとし生けるものが幸せでありますように。

(ジョークはお休みにさせてくださいね)




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ritton2

人間は感情の生き物ですから不安やストレスをいつも抱えながら生きています。吾輩も不安に押しつぶされ一時期仕事をリタイヤした経験があり今も治療とリハビリ中です。なかなか現実を素直に受け止めるのはむづかしいものですね。
by ritton2 (2018-04-09 13:11) 

ニケ

仏陀は、子供の頃から私の理想そのものです。心に思う事まで綺麗でありたいなぁと思いますが…現実は難しい…。頑張ってれば、転生を繰り返す中で、近づいていけるかなぁ…。
by ニケ (2018-04-09 19:40) 

heisei-yamada

toyoサンは群れることが嫌い、でもその実、人間が大好きですよね。
矛盾してると思いますが「矛盾していてもイイじゃないか」と思うんです。
どうせ、人には核がないならなおさらね。
核となるものがなくても、それを手に入れようとする努力とか思考や過程が人の核だと思ったら楽かもしれませんよね。
それに達観できるようになるのが幸せとも限らないと思うんです。
失敗あってこその成功の喜び。
働いてこその休日の充実感。
嘘があるからこその真実の価値。
不完全であるからこそ目指せる高み。
最初から当たるコトがわかってる宝クジなんてなんの夢もないし、毎日が休日なら休みなんてありがたくもなんともない。
大切な人を亡くした悲しみに涙するのも素敵なコトだと思うんです。
すべてを達観していたら、そんな素敵なコトを素敵と感じないかも知れないと思う方が私には恐怖です。
少し記事の内容と趣旨がズレてるかも知れませんが、実はその辺のコトをtoyoサンが一番理解されてるように思えてならないんですよね。
ブッダの考えと、toyoサンの考えが違ってもイイじゃないかと思うし、その方がより自然なコトだと私は思うんです。
それにtoyoサンの魅力は不完全さと矛盾にあるとも思っています(当然、自分はもっともっともっと不完全で未熟なのは承知しています)。
だからtoyoサンとお話ししていると楽しいんだと思うんだけどなぁ…。

もしも気分を害されたなら、どうかどうか平にご容赦ください。
by heisei-yamada (2018-04-09 21:42) 

toyo

ritton2 様

駄文にお付き合いいただいてありがとうございます。
>吾輩も不安に押しつぶされ一時期仕事をリタイヤした経験があり・・・なかなか現実を素直に受け止める・・・・・

ホントですね。うまく言えないけど・・人それぞれ生い立ちというか、環境というか・・どうにもならない条件というか、自分の意志以上の何かに規定されているので自助努力にも限界があると思うんです。そこから脱出するには「外から助けてもらう」しかない気がします。
そのために自分ができることはせめて「新しい出会い=新しい価値観」をなるべく演出するというか、いや、よーするに新しい出会いの場を増やす意思というか、それくらいなのかなあ、と思います。

勝手なことを書いてごめんなさい。
どうかritton2 様にいいことがありますように。
by toyo (2018-04-10 09:26) 

toyo

ニケ 様

コメント感謝します。
>仏陀は、子供の頃から私の理想そのものです。

へーっ、素晴らしいですね。
ニケ 様はきっと既に「心に思う事まで綺麗」なんだと思います。だってそうでなければそんな理想は持てないと思います。私なんか理想なんて何もなかったなあ・・。

たしかに現実は難しいですよね。でも「泥の中から花が咲く」という言葉もありますから・・いや、既にその花がニケ 様じゃないかなと思います。

どうかニケ様が転生の繰り返しで少しでも理想に近づけますように。駄文にお付き合いいただいて感謝します。




by toyo (2018-04-10 09:37) 

toyo

heisei-yamada様

いやあ、こんな駄文にyamada様からコメントを頂けるなんて思ってもいませんでした。ありがとうございます。

>失敗あってこその成功の喜び。
働いてこその休日の充実感。
嘘があるからこその真実の価値。
不完全であるからこそ目指せる高み。

たしか、ブッダの言葉にも同じような見解があった気がします。yamada様は回路は違うけどブッダ的な資質をもっていらっしゃる気が前からしていました(きっと、ご本人は否定するでしょうけど)

>すべてを達観していたら、そんな素敵なコトを素敵と感じないかも知れないと思う方が私には恐怖です。

これも同じことを詩人(名前は忘れましたが)がどこかで書いていたようです。う~ん、お気持ちはわかりますし、人生をリアルに楽しんでいるyamada様らしい言葉だと思います。チャプリンの「戦争狂時代」?だったかで印象的なシーンがありましたがそれについてはお会いしたときにでもお話ししましょう。

達観とは対極の位置にいる私が言うことではないけど・・これは大問題ですよね。これについてもじっくりお話ししたいですよね。果たして達観後にどんな世界が開けてくるのか?という。

う~ん、いつも暗中模索中の私には・・どうも今回はテーマが大きすぎてまとまらないので、この辺で・・ぶつぶつ(笑)すみません、大目に見てくださいね。

あ、前回のお誘いに返事をしなくてごめんなさい。実は華ちゃんの世話で翻弄されていました。

どうかyamada様にいいことがありますように。
ありがとうございました。

by toyo (2018-04-10 10:03) 

りんごあめ

さっきから、コメントを書いては消し、書いては消し…
うまい表現ができないのですが、やっぱりこれだけは伝えたくて…
どの記事を読んでも思うのですが、この記事は本当に私に勇気を下さいました
仏教も無我も私には正直わかりません
でも悩むことに、考えることに価値があるんだ
ダメな自分でも、考えることは無駄じゃないんだ
って認めてくださったような気がして(勝手に)

toyo様の記事は、いつも根底で否定はしない、断罪もない、そうありたかったらそうあってもいいんだよ…って肯定してくれている、そう感じています
私個人に対して、ではなくて、「生きている生命に」です
それで私はtoyo様の記事が大好きなのです

今とても弱ってるので、元気をいただいて感謝しかありません…ありがとうございます
長々とすみません~
toyo様にもいいことがたくさんありますように
身の回りのたくさんの命にも
by りんごあめ (2018-04-10 20:53) 

松葉屋らっきょ

毎日楽しみにみています。私の源氏名も、剥いて剥いても何もないことから名乗っています。もすいませんが、シロアリ以外の文がありがたいです。今回もうれしかった。私も群れるのが嫌い。というよりも、群れたくても、群れることが難しいのかもしれない。寂しがりやなのに、孤独を楽しめない小心者です。小池龍之介の本はよく読んでいます。養老猛も。自称仏教徒のつもり。しかし仏教は宗教ではない。と私は思います。科学であり、哲学です。アドラー心理学にもつながります。「諸行無常」と「受け入れる」ことがわかっちぃるけど、なかなかできない。今後のtoyoさんの文に期待。4月29日の献血は都合によりいけなくなりました。春秋の拝顔を楽しみにしていますが、残念です。
by 松葉屋らっきょ (2018-04-11 08:05) 

toyo

りんごあめ様

いつもお付き合いいただいてありがとうございます。

実は、私もりんごあめ様のブログは(ゲームの話は理解不能なので飛ばし読みですが・・すみません)拝見させていただいていました。文章がとてもきれいで明晰なのでこんな文章が書けたらいいなあ~と密かに思っていました。

う、う~ん、コメントも拝見していたのですが、こ、こりゃあほめ過ぎだ。参ったなあ~、どんなコメント返しをしたらいいのか思い浮かばないので躊躇していました。
私は決してりんごあめ様のお褒めの言葉に値するような人間じゃないんですが・・(でも、謙遜は実は決して美徳じゃないそうですから)・・素直にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
もし、私の駄文がもしほんの少しでもりんごあめ様の癒しになったのであれば望外の喜びです。

脱線しますが、たしかに心がどうにも停滞して自分でも元気になれないときって、私にもよくあります。
自助努力にも限界があると思うんです。そういう時は心は無視して強引に肉体を動かすと、結果、心が回復するきっかけになるようですね。

そういえば島倉千代子さんの色紙には必ずサインの隣に「まず動け!」と書いてあったそうですね。
また、武田信玄の言葉に「戦意が湧かないときは戦え!斬る気が起こらないときは斬れ!」というのがあるそうですね。

息子さんの部屋のお掃除などで既にりんごあめ様はそれを実行されておられるようで、う~ん、さすがクレヴァ―というか賢い人だなと勝手に思いました。

どんどん脱線しますね(笑)
エンターティメントの力って、まさにおっしゃる通りだと思うんです。うまく言えないけど、この辛いことばかり多い人生で、ほんのひと時でも確実に浮世の辛さを忘れさせてくれるもの・・それは素敵な時間だし、それが儚くてもエンターテイメントの力の素晴らしさだと思っています。

たまには帰ってきていいんだよ・・と思っても口には出さない・・と言うのも全く痛いほど共感します。
(うちの娘は糸の切れたタコみたいにほんとに音信不通・・ぶつぶつ・・たまにメールがある時は「金、貸して」だもんね、まったく・・ま、それでもいいか・・ぶつぶつ・・こっちだってやりくりが大変なんだからもう・・ぶつぶつぶつぶつ・・・あ、こりゃあ脱線のし過ぎですね(笑)ごめんなさい。大変失礼しました。

ぐちゃぐちゃな文でほんとにもうしわけないです。
どうか大目に見ていただけますように。
そして、どうか、りんごあめ様にいいことがたくさんありますように。ありがとうございました。

by toyo (2018-04-13 10:00) 

toyo

松葉屋らっきょ様

いつもお付き合いいただいてありがとうございます。

仏教については私もまだまだ暗中模索中というか自己流に読んで調べていますのでとても人様に話せるレベルではないと思っています。でも、たしかに私も仏教は宗教ではないと思います。ブッダの教えと日本仏教は相当に違うというか似て非なるものですよね。おそらくブッダ以上にこの世界と人間をふかく考察し尽くした人はいないのではないかとさえ思っています。空海さんとか親鸞さんはそれなりに優秀なかただったんだろうなあ、と思っても興味は(今のところ)全然わかないのです。
荘子は惹かれますがまだ調べる時間的余裕がないので・・ぶつぶつ。
それにしても、らっきょに芯がないという比喩的な意味で源氏名にされたことは知りませんでした。そうだったのですか!なんかセンスが私に近いと勝手に共感しました。実は・・ヘンないいかたですが芯は重要じゃないんですよね。重要なのは「皮」のほうなんですよね。
上手く言えないけど‥あー、言葉が出てこない・・芯がない存在なのにそれでも実在している感覚があるのは皮に原因がある・・と事細かに徹底的にブッダは説明していますよね。
無常の説明は私の手に余る・・と思っています。生きることは苦であるという「苦」というのは適切な訳語ではないそうです。誤訳とは言わないけどもっと広範囲の概念を含んだドウッツカが言語のようです。ドウッツカは無常に一番近い意味らしいです。これ以上は私もまだ理解できないでいます。
アドラー心理学とブッダの教えに通底するものがある・・と言うのは初めて知りました。機会があったらその辺の話を教えていただきたいです。献血、残念ですがまたの機会をお待ちしています。
それではらっきょ様にいいことがありますように。
ありがとうございました。感謝感謝です。
by toyo (2018-04-13 10:36) 

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