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ああ、また劣等感が・・・ [つまらない]


皆さん、こんにちは。


今日はほんとに、お読みいただいても、とてもつまらない
独り言です。 
ですから、どうか途中からでも遠慮なくパスしてくださいね。 
そのほうがいいです。 暗い気分が伝染したら申し訳ない
ですから。

実はけっこう落ち込んでいます。 
それというのも先日NHKのHVで小田実氏のドキュメント
番組をみたせいです。

小田氏の生前の活動から亡くなるまでのドキュメントでした。 
私は小田氏についてはそれまで特に興味はありませんでした。 
ベ平連を組織して頑張った人、あるいは「何でも見てやろう」と
世界中を旅した人・・くらいのことしか知りませんでした。

それなのになんで落ち込んだのかというと・・・・
いや別に小田氏に限らず私は「使命感を持って頑張った人」を
知ると急激に落ち込んでしまいやすい性格です。

何故って?
「それで、お前はどうなんだ?」といつも自分自身に問うてしまう
からです。 で、私は何者にもなっていない!ことに気づかされる。 
嫉妬と劣等感にさいなまれます。 ああ私は何もしてこなかった!と。

こういう感じ方はおかしいでしょうか? 
劣等意識は自分と他を比べるから起こります。 
じゃあ、比べなきゃいいんだということになりますが・・・ところが
私の場合「比べなくても」劣等感は依然としてそこにあります。 
消えない。

消えないのは自分に対する「要求水準」が高すぎるからだと昔、
心理学の本で読んだことがあります。 つまり、分不相応の願望を
持っていると。 そうなんだろうか? そんな意識も願望もないはず
なんだけどな。 「ないものねだり」はしていないつもりなんだけどな。 


後悔することをもっとも忌み嫌ってきたつもりなのに、最近は後悔
することばかり・・・。 
どこかで歯車が知らないうちに狂ってしまったらしい。 
ともあれ、充実した人生を送ってこなかったのは確か。 それはきっと
「自分に正直に生きてこなかった」からかもしれない。

なぜ「自分に正直に生きてこなかったか」というと・・・そもそも自分が
わからなかったからです。 
で、そんな「自分探し」をいくらしても無駄だと最近思うようになりました。 
(あまりに気づくのが遅過ぎた?)

「ものぐさ精神分析」の岸田秀氏だったか「性格の分析」について
こんなことを書いていたように思います。 

人間の性格はどこか自分の奥に「本質的な芯みたいなもの」が
あると思い勝ちだが、実際はラッキョの皮みたいに、いくらむいても、
むいてもそこには何もない・・・と。 
あるのは他人と接したときに「反応する自分だけ」というような意味
だったと思います。  

{あの人は○○な人だ}と、ふだん私達はいいますが、その○○は
決して「固定」できるものではないということなんでしょうね。 
自分自身についても同じです。 「自分の個性」だと思っているものは、
実はすべて錯覚か幻想かもしれないな、と思います。 

つまり、たとえばA氏という人がいて、そのA氏についての評価は
B氏とC氏が同じかというと大抵違います。 
仮にB氏がA氏の事を「あの人はうそつきだ」と言ったとします。 
しかし、C氏は「いや、あのA氏はとても誠実な人だよ」というかも
しれません。 
では、一体A氏はうそつきなのか誠実な人なのか、どっちなんでしょう?

岸田氏によればどっちも正解になります。 
B氏がなぜA氏はうそつきかというと、それはA氏とB氏の「関係」が
そのようなものだということです。 あるいはB氏がA氏のうそつきな面を
引き出したのかもしれません。 
「B氏との関係」においてA氏は「うそつきな面で反応」したからです。 

逆に、C氏に対しては誠実な面で「反応」したということです。 
C氏の誠実な面がA氏の誠実な面を引き出したとも言えます。 
「人間関係」のその「関係」次第で人は「反応=その人の人間性」が
異なるということでしょう。 
(なんだか当たり前のことを書いてる気がしてきた・・・。)

いやいやそうではなく、人間には個々人にそれぞれ内在する
「核みたいな自分」があると思い勝ちですが、それは幻想で実は何もない。 
「関係」のなかにしか自分はいないのだ、と岸田氏は書いていた
ように思います。 

つまり、人間にはいくらほじくっても「本質的なもの・性格の芯や
核みたいなもの」は何もないということでしょうか。 
「関係」と「状況」が人を形作るのかもしれません。 
「人間」=「人間関係そのもの」・・というように捕らえたほうが正解だと
岸田氏は書いていたと思います。(しつっこいですね)

だから、エイ!ヤッ!と、そんなこと考えないで・・・錯覚でもいい、
幻想でもいい、とりあえずでもいいから行動すること。 
それによって次のやりたいことが見えてくるものだよ・・・
これは確か船戸与一氏だったか?が何かの本に書いていました。 
まあ、それもわかるんだけど・・・。

実に見苦しいですね。 ほんとに見苦しい。 
私は死ぬまでグダグダ言っていそう。 もう、とっくに劣等感とは
おさらばしたと思っていたのにまたぞろ厄介なヤツが頭をもたげて
きたっていう気分。 

そういえば以前、私のお客様がしみじみとこう言っていたのを
思い出しました。 

30代の頃はね、40代になれば悩みもきっと今よりは減るだろうと
思っていたよ。 しかし、その40歳になったらなったで悩みの数は
ちっとも減っていないことに気づいたな。 
で、50代になれば少しは人生、達観できるのでは・・と思っていたが、
やっぱり変らない・・・と。 
結局、死ぬまで悩みは尽きないんでしょうね・・・なんて。

そういえば私の師?が昔、こう言っていました。
一般的には、年をとればとるほど人間は円熟味を増していくと
思われてるけど実態は逆だよ。 人間は年をとればとるほどバカ
(愚か者)になる。 なぜなら、せいぜい20代半ばぐらいまでに溜め
込んだ心の財産?をそれ以降は小出しにして食いつぶしていくだけ
だから・・・。 

もう止めましょう。 こんな話。 
ここまで読んでくださった皆さん、ごめんなさいね。 
ああ、また発作が起きたな、と思ってくださいね。 私はこんな実に
潔くない人間です。 せっかく読んでいただいても落ち込んだ気分に
させたら申し訳ないです。 

(しかし、なぜ小田氏は古代ギリシャ文化に興味があったんだろう? 
ホーメロスの叙事詩「イーリアス」の日本語訳を新しく作りたがっていた
そうだけど・・私にはちんぷんかんぷん??
「ギリシャ神話」ってそんなにすごいのかなあ? きっと小田氏の
ことだから現代の政治のもっとも先鋭的な何か?の重要なヒントが
あったんだろうけど。 どなたか、教えてください) 

それでは皆さん、ごきげんよう。

 

 (しかし、私も・・・ちっとも成長しないなあ・・・)

 


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たいせい

 私自身は、学歴社会に於いては高卒で、学生時代の通知表も5段階評価で1から5まで満遍なく揃うという超問題児だったのですが、劣等感というものを感じたことはほとんどありません。
 結局「心の持ちよう」で、考えてもしょうがないことは考えないという超脳天気な性格がもたらしたもののような気がします。
 しいて言うと、少年時代に父に刻み込まれた価値観が「出来る、出来ないにかかわらず、人と違っていると言うことにお前の価値がある」とのもので、そんなこともあったのかもしれません。
 私が見ている限り、toyoさんは大変素晴らしい先輩だと感じています!
by たいせい (2008-02-27 18:20) 

toyo

たいせい様
つまらない泣き言に
コメントいただいて感謝しています。それにしても・・・
「出来る、出来ないにかかわらず、人と違っていると言うことにお前の価値がある」・・・・とはいいことばですね。
お父様も立派な方ですね。
ありがとうございました。
by toyo (2008-02-28 11:03) 

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