SSブログ

今頃になって・・ [つまらない]


みなさん、こんにちは。

・・というか、今日はほんとに個人的な独白・・というか自分探しの
ための手探りのつぶやきみたいな内容なのでパスしてくださいね
・・というか、そんなら書くな!・・ですよね。

自分探しなんかやめたらええねん。
なんぼ追いかけたって自分の背中は絶対見えへん
そんなんやったら店でキンチョール探すほうが
絶対ええ。
 


・・というCMがありますが、まあそれも一理あるとは思うけど、自我の
牢獄から自由になりたいという欲望もまた、しつっこく消えないので
仕方ない。

まあ、お時間があったらお付き合いくださいね。きっとなんの役にも
立たないと思うけど(笑)

128.jpg

なんというか、インドの記事でちょっと触れましたが、どうも漢方薬
みたいにジワジワとその影響が出始めている気がしています。
たたが一週間くらいの駆け足旅行なのに・・それも北インドとネパール
のほんの一部を巡礼してきただけなのに不思議です。

今頃になって、あの経験は何だったのか?と再検証というか、いや
自分はなんでインドに行こうと思ったのか?ほんとのホントの理由が
未だにわからない。カルマなんでしょうかねえ・・ぶつぶつ。
インドについて書かれた椎名誠氏や他の本を何冊か読んだけど、
そしてそれなりに面白かったけど何か物足りない。まあ、エッセイです
ものね。もっと優しくて難しい本?はないかしら?・・ぶつぶつ。

843.jpg

それで、横尾忠則氏のインド関係について書かれた本を読み始めて
いますが、これが面白い!というか、私にはぴったりくる。
横尾氏の文は私がインドで(考えたのではなく)感じた印象と共感する
部分が多かった。特に「なんということはない細部」に共感した。

元々、横尾氏には前から興味があったのでシンパシーを感じていました。
横尾氏はUFOとか、シャンバラとか、アダムスキーとか、クリシュナとか
独特の視点でインドと関わっている。

で、そういうものに私も昔、興味がありました。
(ヨガだけは今のところ興味はないけど)横尾氏の文章で煩雑にでてくる
カルマという言葉。カルマにも興味はなかったけど、でもどうも自分も
カルマを考えなければいけないかしら?とか思い始めています。

628.jpg

たとえば、横尾氏はインドでUFOらしき物体を何度か目撃しているよう
です。でも、それがほんとに(物理的に)UFOだったのか?とか、
自然現象だったのか?幻覚だったのか?ということは重要なことでは
ないようです。

カスタネダは幻覚キノコを食べてカラスとなって空を飛んだあと、
師のドンファンに自分は実際に空を飛んでいたのか執拗に訊ねる。
するとドンファンは、お前はそこの藪に転がっていたといいつつ、
そのことは問題じゃない。おまえがカラスになり空を飛んだこと
こそ肝心なリアリティなのだと教えるのである。


重要なのは精神世界の方。UFOらしき物体に触発された精神世界
というか、あくまで自分にとっての意味・・みたいなものです。
それが現でなく夢でも幻覚でも自分にとってリアルあれば現と同じ。
蝶の夢じゃないけど、現実だって幻覚のようなものですから。

1086.jpg

それじゃあ私はどうなのか?私にとってはインドは何だったのか?
インドの何が私は「気になる」のか?それはインドに答えがあるのでは
なく「私の中に既にある」はずなのです。インドは「触媒」にしか過ぎない。

UFOが実在するか否か、ではなく、私にとってUFOは何なのか?
UFOが「気になる自分」は何なのか?。アダムスキーが「気になる
自分」は何なのか?。チベットの死者の書が気になる自分は何なのか?
シャングリラが気になる自分は何なのか?アガルダが気になる自分は?
禅が・・道元が・・ああ、きりがない(笑)

1083.jpg

このようなバラバラのパズルはいつか組合わせられるのか?
いつかピタッとすべてのパズルが収まるときが来るのかしら?
それとも永遠に来ないのかしら?
アホな私には見果てぬ夢なのかしら?まあ無理でしょう。
砂漠でオアシスを見つけて、そこにいったら蜃気楼だった・・
の繰り返しで一生を終わるのかも・・。

インドに行くと確かに今までの自分の生き方、考え方、環境、とにかく全て
が間違っていたと感じ始める。そしてこのような発見が混乱を呼び、しばらく
なにも手がつかない状態が続く。つまり自分自身の根源に無理矢理立ち
向かわせられるのである。スタートに向かってUターンを強いられるのである。

「人間は本来の姿に帰らなければならない」といくら口でいっても、「本来」
そのものの実体がつかめなければなんにもならない。
僕が教えを乞うたある禅僧は、人間は生まれながらに「悟っており、そして
五官(眼・耳・鼻・舌・身)も五蓋(貪り・怒り・無知蒙昧・躁鬱・疑い)も最初からない」、
つまり人間的な見解であれこれ物事を分別するから、ここに持たなくてもいい
苦悩が生まれるのだといわれる。

「生まれながらに悟っている」ということは、生まれながらにこの世界と一つと
いうことだろう。だから、人間だけでなく犬や猫。木や花、土や水や火や空気、
大自然全てのものがすでに悟った存在という意味であろう。
そうするとなにもわざわざ、悩んだり苦しんだりしなくてもいいということになる。
木や花が苦しんだり悩んだりしないのと同様、人間もそれをする必要がないと
いうことだろう。そんな馬鹿な!という考えが浮かぶかもしれないが、事実を事
実として見ておればそれでいいという考えが確かに起こる。

もちろん、人間の感情は無視できないが、考えたからといってどうにかなるもの
ではない。もともと人間が自然物と一つであるという認識をもてば、「本来」に
帰ることができるはずだ。「本来」とは仏教でいう「仏性」ということであろう。

またこの禅僧は、「悟ろうなんて気は一切捨てなさい!」そうでなければ悟れない
といわれた。誰でも「本来」がある以上、悟っている、ということらしい。
つまりわれわれは「本来」という感覚の記憶を喪失してるに過ぎないのだろう。
「本来」を想い出した時が「悟り」であり、自然の一部であることの自覚であり、
森羅万象と一つになる瞬間でもあろう。

インドには釈迦が生まれ、現在でも多くの聖者が道を求め続けている。
またインド人の生活そのものが宗教的であるのも、このインドの自然があってこそ
であり、現代の日本でインド人と同じものを求めようとしても、肝心の自然と呼べる
ものが余りにも貧弱である。

(インドへ・横尾忠則・著・・より)

269.jpg

例のごとくむちゃくちゃな文章になりました。そして、これが私の現実。
ああ、先が思いやられる(笑)
私はどこから手をつけよう?とりあえず座禅でもしてみようかしら?
・・とかなんとか思うこの頃です。

しかし、ほんとに今頃になって・・インドがリアルになってくるとは想定外
でした。こんなことなら、立派なお坊さんと一緒だったから、もっともっと
質問できるチャンスが旅行中にいっぱいあったのにねえ。馬鹿だなあ、
自分は・・と思う。

でも、まあ、そのときはこんなこと考えなかったしね。
やっぱり時期があるんだ。アホは仕方ないかとも思う。

202.jpg

ということで一方的で愚かで曖昧な独白でした。
今頃になって、こんなこと書くべきじゃなかったかなあ~と、
思っています。馬鹿丸出しですもんね。

どうかみなさんの一日が笑顔でありますように。
駄文にお付き合いいただいて心から感謝します。



ジョーク
三歳の娘のオネンネに父親がお付き合い。
お話をしてあげ、娘のお祈りを聞く。 
「ママに祝福。パパに祝福。おばあちゃんに祝福。おじいちゃんサヨナラ。」 
父親は不審に思った;
「何でおじいちゃんサヨナラなんていうの?」

娘;
「わからないわ。でもね、そう言いたくなっちゃっただけみたい。」

翌日、おじいちゃんが死んだ。奇妙な偶然の一致だと父親はいぶかる。 
数ヵ月後、娘のオネンネに付き合う父親はまた変なお祈りを耳にした;

「ママに祝福。パパに祝福。おばあちゃんサヨナラ。」 
案の定、翌日、おばあちゃんが死んだ。なんていうこったい。娘はあの世と
通じているのだ。

数週間後、娘がオネンネする前にこんなお祈りをする;
「ママに祝福。パパサヨナラ。」

実態を見ているだけに父親はショックを受ける。
一晩中まんじりともできなかった。夜明けと同時に会社へ出かける。 
猫さながら一日中おどおどしている。外へも出かけずランチを出前させ、
時計ばかりが気になる。日替わりする真夜中まで生き延びれば問題は解決
だろうと考えた。事務所だったら安全だ。勤務時間が過ぎても彼は事務所に
居残った。物音がするたびにドキっとしながら、コーヒーで気を落ち着け、
腕時計で時間を確認する。

ようやく真夜中を回った。安堵のため息が漏れ、帰宅の途につく。 
帰宅するとかみさんが出迎えた;
「こんなに遅くまで働くなんて初めてね。何かあったの?」

旦那;
「言いたくないことなんだが、最悪の日だったよ。」

 
かみさん;
「最悪の日だってアナタは言うけど、私だって大変だったのよ!今朝方、
 郵便配達が玄関先で死んじゃったの。」



nice!(41)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

nice! 41

コメント 11

ねりね

メイナード・ファーガソンというトランペッター、'50年代から活躍していた人ですが、映画『ロッキー』のテーマのヒットでジャズファンでない人にも名前が通じるようになったです。

『ロッキー』の頃には、劣化したプレスリーのような衣装でステージに出てくる姿に違和感がありました。私の好きな'50年代のジャズプレーヤーはメイナードに限らず、みんなスーツ姿の写真でしたからね。

この人、いつごろからかサイババに帰依したそうで、あの衣装はプレスリーのまねじゃなくて、サイババへの帰依の現れなのだと知って驚きました。ロッキーのテーマが流れてくるとサイババのことを思うようになりました。
ま、あたしはサイババが誰なのだか知らないのですけどね。

インドは人を惹きつける場所なんだなあと思った。あたしは近づきたくないです。きっとインド磁力に反応するものを身の内に持っていないのでしょう。それとも、近づいて磁力に反応してしまう予感があって、それが怖いのかな。
by ねりね (2012-09-01 00:29) 

わ~い、お茶

こんばんは。そういえばパワーストーンを販売して自らも著書を出されている北出幸雄氏は「現代の人はリアリティ欠乏症である」と看破されています。「今この瞬間、ドキリとするほど『自分』と言う存在があるという事に気が付け、今目覚めなければいつ目覚める」と言う事を瞑想を通じて感じたそうです。この方もインド、特にヒンドゥーの考えを元にしている方です。この欠乏症をどうにかしたいと思い、人は自分探しをしたりオウムの様な宗教に嵌るのだと思います。

by わ~い、お茶 (2012-09-01 01:35) 

わ~い、お茶

訂正があります。北出氏は「幸雄」ではなく「幸男」
の間違いです。失礼しました。
by わ~い、お茶 (2012-09-01 01:45) 

いっぷく

書くことは他者献身であり自己救済でもあるといいますし、
ご自分の書きたいことを書かれることは無問題だと思います。
私もさっき、自分のブログに自分勝手な記事書きましたよ。
by いっぷく (2012-09-01 04:13) 

ぞぴー

仕事と関連したブログでは、仕事と関係ない話しって、なかなか書けないのではないかと想像します。
でも、その関係ない話しの中に、自分の真の欲求を見出す作業というのも、必要な事なのかも知れません。

自分の場合、ブログに仕事の事を書かないようにしてるので、その点は楽ですよ(笑)
by ぞぴー (2012-09-02 11:11) 

toyo

ねりね様

コメントありがとうございます。
メイナード・ファーガソンがサイババへに帰依していたとは知りませんでした。
サイババって、ただの奇術師というか詐欺師?だと思いますが
どうもインドでは私たちとは全く違う文脈でとらえられているようです。これはほんとに私にもわかりません。何しろヒンズーの神様がプロマイド化されて売っている國ですから・・AKB48みたいなアイドルという扱いみたいです。神様がアイドルというのは良くも悪くも宗教が生活に自然に密着していることだと思うし、サイババもAKBの延長みたいな感じでスターだったんじゃないかと思います。スターなんだからその超能力が怪しいものでも、そういうことは問題にならないようですね。外れているかもしれないけど。きっと、ファーガソン氏にとってもサイババは精神的なアイドルだったのでないかしら?と思います。
実は私もよくわからないで書いています(笑)

>きっとインド磁力に反応するものを身の内に持っていないのでしょう。それとも、近づいて磁力に反応してしまう予感があって、それが怖いのかな。

今回はガンガーは通りすぎるだけでしたが、ガンガーのほとりでは沐浴したり、炊事をしたり、洗濯をしたり、歯を磨いたり、顔を洗ったり、うんちをしたり・・で、その傍で死体を焼いたり、その半焼けの死体がぷかぷか流れていたり、その死体を犬が食っていたり・・こんな光景を目にすれば日本人ならだれでもガーンと頭を殴られたような気分になるでしょうね。私は乞食の子を見ただけでえらいショックでしたから、ガンガーに行っていたらきっとかなりのダメージを受けていたと思います。私はだからガンガーは行かなくて良かった・・というか早すぎるかもと思っています。
・・というようなわけなので、たぶん、ねりね様は「磁力に反応してしまう予感」のほうじゃないかなあ?と思います。違うかしら?
勝手なことを書いてしまいました。
どうか、ねりね様にいいことがありますように。
いつも丁寧なコメントをありがとうございます。


by toyo (2012-09-03 12:41) 

toyo

わ~い、お茶様

いつも駄文におつきあいいただいて感謝します。
>北出幸男氏は「現代の人はリアリティ欠乏症である」と看破されています。

なんか、よくわかるような気がします。でも、これって、一歩間違うとおっしゃるように「オウムの様な宗教に嵌る」ことになりかねないですね。まあ、でも広義に考えると人は誰でも同じようなことが言える気もするし・・オウムって特別の異常なことでないような気がする時もあるし・・ああ、自分でもわからないです。

結局、それが世間的常識的には異常でも当人にとってリアリティが感じられればそれでいい、というかそれしかないような気もします。ただ、自分の信ずることが最高で、それ以外は無価値だから目覚めさせるために「ポアしてあげよう」というのは傲慢だと思いますが。

宗教の怖さって、いつのまにか信ずるあまりに傲慢になって、それすらも気づかない・・ということじゃないかと思っています。
だから、一神教よりも多神教の・・八百万の神が住む日本のほうが、いい加減と言われようと、まだいいんじゃないかとかなんとか思っています。
どうか、わ~い、お茶様にもいいことがありますように。
いつも丁寧なコメントを感謝します。
by toyo (2012-09-03 12:56) 

toyo

いっぷく 様

>書くことは他者献身であり自己救済

なるほど!そのように考えたことはありませんでした。
なんだか気持ちが楽になりました。
私の書く事は他者献身にはなっていないと思うけど、
でも、たしかに自己救済にはなっていると実感します。
これからもどうか大目に見ていただけるとほっとします。

いつも丁寧なコメントを感謝します。
どうか、いっぷく様にもいいことがありますように。
by toyo (2012-09-03 13:01) 

toyo

ぞぴー 様

ありがとうございます。
私の場合は単にネタがないときに自虐ネタに走るだけ
みたいです(笑)いい加減ですみません。

でも、
>でも、その関係ない話しの中に、自分の真の欲求を見出す作業・・
も、大事なことかもしれませんね。
うまくいえませんが、そんな気がします。

丁寧なコメントを感謝します。
どうか、ぞぴー 様にもいいことがありますように。


by toyo (2012-09-03 13:06) 

hisa

横尾さんって、気が小さい自分から自由になろうと懸命にあがいていたら、自由になり過ぎちゃった人。印象と違って、とても真面目な芸術家。ぼくも大好きです。
分母を増やしてみたらどうかな。世界は広いよ。どこに行っても変わらないものに気付いたら、それが自分。
by hisa (2012-09-04 13:39) 

toyo

hisa 様

いつもお付き合いいただいてありがとうございます。
hisa 様のコメントにはいつも気づきをいただいています。
>分母を増やしてみたらどうかな。
・・には思わず、ハッとしました。そうなんですよね。最近、世の中はなんでもありだなあ~と思っています。ほんとに多様な価値観があふれていて、自分の考えることや思いなんて、ほんとに満天の星のひとつみたいなもの・・と、思っています。いろんな物の見方というか尺度というか、・・一時期「新人類」なんて言葉が流行りましたが、いつの時代も新人類っているし、それが寧ろ当たり前なのだと思っています。すると、どうしても自分では理解できないことがあるのも当たり前ですし、・・何が言いたいのかわからなくなってきました(笑)
ああ、言語概念化能力のない自分が恨めしい(笑)

どうかhisa 様にいいことがありますように。
ありがとうございました。

by toyo (2012-09-05 23:18) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。